
2019年6月7日執筆 コラム「相場という障害物」
先日自分のスマホのメモの整理をしていたら、僕が前職バナナレコード在籍時に書いた2019年6月7日の下書きのコラムが見つかった。
6年前の僕が何に怒ってこんな文章を書いたのか覚えていないが、2025年の僕と思うことはほとんど同じで、過去の自分の文章に随分と頷かされた。
これが自分の店を開いた今の僕が書いた文章なら、あまりに手前味噌がすぎるし、暗に「俺の店で高いもの買えよ」って言ってるみたいで恥ずかしいが、6年も前の僕、まだ独立のことなんて頭の片隅の夢の話みたいだった頃に書いた文章なので、それも素直に受け止められる。
そして6年前の想いを曲げずに実現できている今の自分を、少しだけ誇りにも思えた。
というわけで今日は6年後にFAMの店主となるtonが書いた、2019年の怒りのコラムを載せてみようと思う。
「相場という障害物」 (2019年6月7日執筆)
「あそこのレコ屋は抜けない」とか、「どこそこのレコ屋は抜けた」とか、「値付けがヤフオク価格なのでレア盤はスルーした」とか、そんな話ばかりをしている自称ディガーやDJが嫌いだ。
相場より高く買ってはダサいのか?
買うものがなかったのは、”自分の知識の範囲内では買うものがなかった” の間違いではないのか?
アルバムや曲に感銘を受けて、その作品が欲しいと思う。この気持ちが当然一番大切で、これからレコードを買おうと思っている人には本当にそれを忘れてほしくない。
相場より高く買った事を後から恥じることはないし、安く買ったことを誇るべきでない。DJや自称ディガー達も安く “抜く” 事ばかりを助長すべきではない。
割高に買った事を恥じるよりも、その作品をその瞬間に素直に良いと思った自分を誇るべきだと思う。
あなたにとってのゴミ盤が、誰かにとっての名盤の可能性だってある。
お金があるなら買えばいい。誰も買う価値のない作品なんてない。
ヤフオクやDiscogsなどのネットの進歩で、それほど知識のない人間でも容易にレコードの相場を調べられるようになった。
レコ屋としても不得意なジャンルに穴がなくなるし、人気の商品をいち早く知ることができるので非常にありがたい。
ただ、相場意識が強くなりすぎたように思う。
その作品を大して知らない誰かから100円で買うより、それを愛してやまない店主から5,000円で買う方が、僕は価値があると思っている。
偏見の入り混じったレコメンドや、そのレコードにまつわるエピソード。これが面白いし、それが新たに自分の物語になる。
“レア盤を安く手に入れた” というエピソードしか残らない前者より、よっぽど愛すべき作品になるのではないか。
「音楽が好き」
いつになってもこの大前提だけは忘れないようにしたい。
2019.6.7執筆
前バナナレコード名駅店店長 (現hair & music parlour FAM 店主 ton)