
別れについて
書くべきか書かぬべきか悩んだ。とてもパーソナルなことなので。
故人への敬意と、僕自身の感情の記録のために書き記す。
店のご近所の奥様が亡くなられた。
FAMは住宅街にある。僕は店内から毎日外の様子を見ている。
お散歩する人と愛犬、ぷくぷくと太った野良猫。
ご近所の方と顔を合わせれば、挨拶をする。
立ち話もするし、中にはお店を見に来てくれる方もいる。
ご主人は音楽好きでレコードを買ってくれたこともある。僕と同世代の娘さんは海外住まい。
孫を連れて帰ってくると一気に家の中が賑やかになる。夜まで笑い声と泣き声で大騒ぎだ。
奥様はとてもきれい好きで、頻繁に外の掃き掃除をしている。
FAMの店舗は風の通り道で、2Fへ上がる階段の下辺りが吹き溜まりになる。
店がオープンする前、街路樹から落ちた葉っぱが溜まっているのに気付いた奥様が、掃除をしてくれたこともある。
奥様は癌で自宅療養をされていたそうだ。
そんな奥様が先日亡くなられた。
ご主人は気丈に、そして忙しく動いている。
通夜や葬儀の準備が忙しいのは、残された人間が悲しみに打ちひしがれる暇を与えないようにするためなのだとか。
自宅から奥様を乗せた車を見送った後、ほんの数秒間、空を見つめる姿がとても印象に残った。
気丈なご主人がみせた、様々な思いが詰まった姿だった。
僕は別れにめっぽう弱い。
幼い頃、夏休みで集まったいとこ達との別れ。楽しい旅行の終わり。友人の転勤。彼女との破局。
保育園に送ってくれた母親との別れの後、いつも一人ゆりかごで泣いていたらしい。
とにかく別れが絡む事情に弱すぎる。とても感傷的になってしまう。
それが永遠の別れなら尚更だ。
おばあちゃん子だった僕にとって、高校時代に経験した祖母との別れは今も心に深く刻まれている。
母や父との別れや、妻との別れの後、自分はどうなってしまうのだろう。
想像するだけで頭がおかしくなりそう。
ご近所の奥様は、僕にとって赤の他人だ。関係ない。どんな人物だったかもよく知らないし、ただ近所に住んでいただけの人。
なのになんだろう、この感情は。
単に悲しいともちょっと違う。
ついこの前までそこにいた人が、今はもうどこにもいない。
凄く不思議な感じ。
知らない人のはずなのに、僕の記憶の中にいる人。
人が死ねばその人が持っていた考えや記憶も消える。
でもそれは生前関わった周りの人々によって残り続けることもある。
この場所にお店を開いてもうすぐ二年。
僕は近所の名前も知らない奥様がここに生きていた時代に立ち会えて良かったと思う。
hair & music parlour FAM
店主 ton