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2度目の長野

前回のお話はこちら

 

目を覚ますとこれだ。

 

夜中に何度も起きては頭の中を整理し、周囲を確認して、また眠りにつく。

その繰り返し。

それもいい加減朝6時には諦めて、散歩に行く準備を始めた。

昨夜も驚いたが、朝陽に照らされた室内を改めて見渡すとこれはもう絶景と言って良いような気すらしてくる。

抜かり無く、徹底的に張り巡らされた柄、

 

柄、

柄。

柄という柄の隙間から見えた北アルプスですら柄に見える。

 

散歩へ行こうと何度か起こすも、全く起きない。

よくもまぁこんなにすやすやと寝られるな。

 

幸子さんには娘が1人いる。

『例えお母さんがアフリカで死んでも迎えにはいかないし、

私には何も残してくれなくていい。

お母さんの好きなように生きればいいけれど、私は何も関与しない。』

と、娘には声明を出されている。

これは私が思うに、娘さんが導き出した親子関係を良好に続ける為の

“母娘和平条約”なのだと思う。

でなければ、実家の壁紙はこんなことにはならない。

 

一方、幸子さんといえば、事あるごとに娘への恨み言を並べては

ところ構わず嘆きまくっている。

最終的には、子供なんて大嫌い!と子供みたいに拗ねていた。

 

(夕飯は地元の山賊焼きが食べられるお店へ)

 

 

私達がザンビアに行った2020年2月、時を同じくして幸子さんもタンザニアに向かっていた。

幸子さんは三ヶ月の滞在予定。

だがパンデミックにより2020年4月には空港は封鎖され、もちろん幸子さんも強制帰国を余儀なくされた。

が、なんと帰国を拒んだというのだ。

村へ迎えに来たラマ君の “この便を逃せばそう簡単には帰国できなくなる” という忠告をよそに、

どうしても旅を途中で終わらせたくなかった幸子さんは、このまま滞在を続ける決断をしたという。

 

注文したビールを飲みながら当たり前のようにそう話す幸子さん。

そんな事がまかり通るのか?と

空いた口が塞がらず、目が点で、

今日一番の不細工な我々の顔を見たラマ君は笑っていた。

 

やはり感性と理性のバランスを失っている人は違う。

取り憑かれているのだ。

 

だがその決断は予想外の形で断念せざるを得なくなった。

日本にいる旦那さんの訃報が入ったのだ。

 

あらゆる国のあらゆる機関をたらい回しにされ、

やっとの思いで戻った安曇野の小さな町で待ち受けていたのは、周囲からの誹謗中傷と死後整理に追われる日々だったそう。

どんな時も快く旅へと送り出し、混乱の中でも旅を続行することを後押ししてくれた亡き旦那さんへの感謝をぼそっと漏らしただけで、それからの話を幸子さんはあまり語らなかった。

 

しかしまぁ、取り憑かれた人がいつまでもじっとしていられる訳がない。

旅を取り上げられた幸子さんは自宅を改装し、仕事を取り上げられたラマ君を招待した。

(もちろん条約通り、娘には好きにして良いと言われた)

そこに、我々夫婦が訪れたというわけだった。

(もちろん我々が寝泊まりした部屋以外も徹底的にあれです)

 

(幸子さんが用意してくれた朝食)

 

(地元の新聞に二人のことが取り上げられたそう)

 

(ラマ君が寝泊まりしている離れ)

 

(あの家に一日もいれば、離れの壁紙がシンプルに見えてくる魔法をかけられる)

 

何事もなければ、幸子さんのタンザニア3ヶ月滞在リベンジはまさに今日から始まるはずだ。

カレンダーに大きく書かれた

“9/4~12/4タンザニア”

の文字には並々ならぬ意気込みを感じる。

 

さっきまで相変わらず娘の悪口を言っていた幸子さんは

ふと思い出したかのように

『子供は?』

『1人は産んで良いかも。女の子はいいわよ。』

と、

いつもであれば丁重な苦笑いでお返しするお節介な質問も、微笑ましく思える魔法までかけられる始末であった。

 

(玄関での集合写真は、初期プリクラを彷彿とさせる仕上がりに)

 

あぁ、どうか娘さん。

母子和平条約を締結し続けられるよう、粘り強く頑張って下さい。

 

そうして我々は、旅に取り憑かれた幸子さんが無事に帰国した頃、また会いに来ますと約束をしショートステイを終えた。

そんな、なんとも不思議な8月のお話でした。