騙す人と騙されたくない人
一階に降りると、警察官がいた。
すかさず私は『おいおい。お前がほいほい招き入れたコイツは本当に警察官なんだろうな?』と、一階店主を睨む。
戴いた名刺を慌ててこちらに提示する一階店主。
疑いをかけられた警察官もまた、水戸黄門さながら「これが目に入らぬか」と言わんばかりの慌てっぷりで警察手帳を提示する。
二人揃って “決して怪しいものではありません” と慌てふためく姿は、益々怪しい。
事情を伺って『そういう事でしたらどうぞ』と二人を釈放し、私は仕事に戻った。
(それでも念には念をと、こっそり「警察 本物 見極め方」とググった。ごめんなさい。)
この、良く言えば『用心深い』、悪く言えば『疑い深い』私の性格。
この癖が身に付くきっかけとなった時の事をよく覚えている。
数年前、従姉妹の結婚式に参列した時のことだ。
その日、牧師さんは口を開けば台詞を噛み続け、言い間違いのメガ盛り状態に陥った彼は狼狽え、もはや自分で笑ってしまっていた。
おかげさまで盛大な笑いと少しの涙に包まれながら、新郎新婦はそのチャーミングな牧師さんに永遠の愛を誓った。
その数日後、世界仰天ニュースの再現VTRにあの牧師さんが出てきたのだ。
パイロット役だったかな?
顔を見た瞬間、親戚一同『あぁー!!!あの牧師さん!!!』とすぐに気が付いた。
要するに、あのときの牧師は “牧師役の外国人俳優” だったのだ。
後々調べてみると、どうもそういう事はよくあるらしい。
よく考えてみれば、半数以上が無宗教である日本人が、愛を誓う時にだけ「アーメン」だなんて、なんとも奇妙な光景なのである。
それっぽく着飾れば、ほとんどの人がそれを受け入れる。
自分が思ってる以上に、世の中にはまやかし物が多いのかもしれないと悟った出来事だった。
お店の一階にいた警察官は一体なんだったのかと言うと、
近所の老夫婦のお家で起きた詐欺事件のおとり捜査中で、受け子が現れるまでここで待機させてほしいとのことだった。
老夫婦を騙したい詐欺師。
詐欺師に騙されたくない老夫婦。
警察に騙されたくない詐欺師。
詐欺師を騙したい警察。
警察に騙されたくない私。
そんな奇妙な関係を、一人わくわくした顔で眺める一階店主。
結局受け子は現れず、おとり捜査は失敗に終わってしまった。
でも詐欺被害に遭わなくてよかった。
つくづく、歪んだろくでもない錬金術だな。