取り憑かれた人
想像していたよりも、随分と奇妙な人生になっていると思う。
タンザニア人の友人と長野の韓国料理屋さんで彼のコロナ離婚の話を聞いているなんて、誰が想像しただろうか。
何かに取り憑かれている人を、私は羨ましいと思っている。
もちろん私にも好きなものはあれど、取り憑かれはしない。
感性を理性で操ってしまうタイプだ。
だが、感性と理性のバランスを失って何かを強烈に好きな人は違う。
猫だったり、アイドルだったり、歌う事だったり、ザンビア共和国のレコードだったり。
キラキラと目を輝かせ、物凄い熱量で語るかと思えば、
熱量の制御が効かなくなった自分自身を、驚くほど客観的に眺めて、羞恥心に苛まれていたりする。
そうやって高揚と自虐を行ったり来たりしながら、病的に好きなものを抱えて生きている人からは、思いがけずハッとさせられる瞬間がある。
彼も例に漏れずそうだった。
「ザンビアの音楽は、買わんと聴けんのだって」
そう言って、良いか悪いかも分からぬ、手に入れなければ聴くことの出来ない未知の音楽を狂ったかのように彼は探していた。
それを手に入れる為に自分がこれまで愛した”誰もが認める” 名盤や
“皆んなが欲しい”レア盤を背中を丸くして泣く泣く売りに出していた姿をよく覚えている。
(実際の所、これは結構嫌だった。家から私も大好きなレコード達が無くなっていくのは正直気が気でなかった)
とにかく私にはその言葉が妙に響いてしまって、
それからというもの、私もネジを一本外して見守ることにした。
我が家にやってきてくれたボロボロの野生のレコードを愛おしく感じるようになるまで、そう時間は要さなかった。
そんな日々が何年も続き、ついに我々は
『買わんと聴けん、行かんと解らん』理論で
アフリカ、ザンビア共和国へと旅立つこととなったわけです。
それから3年。
次は、そのザンビア旅行で出会ったタンザニア人の友人と長野の韓国料理屋さんでコロナ離婚の話をした8月の話。
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