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たまちゃん

先日、健康診断で名前を呼ばれた際に懐かしいヒヤヒヤ感を味わった。

私は人前で名前を呼ばれるシチュエーションが昔からどうも苦手だった。

 

二階美容師こと私の名前は瑶基(たまき)と申します。

苗字ではなく名前です。

比較的珍しい名前な上に、漢字もこれまた難易度高め。

この名前をすらっと呼んでもらえたことはほぼなく、大体の場合でまず読み方に苦労し、紆余曲折を経てなんとか”たまき”に辿り着いたとしても、その後に続くのは『ちゃん』でも『さん』でもなく『くん』が定石だった。

今でこそ、ほな色々ややこしいんで全員『さん』にしときましょか〜といった世の中の流れはあれど、当時は病院はもちろんの事、本来であれば誇らしく表彰されるような場面ですら『ようき?はるき?た、た、たま、き?たまきくん!あ、ごめんなさい女の子でしたか。はい、たまきちゃ〜ん!』と言った具合に、ほぼ毎回繰り広げられるこのターンを私はただただ耳を閉じ、念仏を唱えながらやり過ごしていた。

そしてこれだけは一生忘れもしない。

小学生の頃、後世に語り継がれるであろうあだ名を付けられた。

“タマキンタマンテンブクロファイヤー”だ。

小学生の男子が大好物の金玉は、”タマキン”や”キンタマ”でやめておけばいいものの、それだけでは飽き足らずその袋ごとファイヤーされたのだ。

事あるごとにその長ったらしくも戦闘力と破壊力に満ち溢れた、超必殺技のファイヤーをくらっては失意の底へ叩きつけられた。

 

それでも、私はなんとなく自分の名前が好きだった。

“たま”には誰が口にしてもその文字通り、不思議と言葉に丸みを帯びて呼ばれる私も心地が良いからなのだと思う。

たま、たまちゃん、たまきち、たまごろう、たまきちゃん、たまきさん。

(今となってはタマキンタマンテンブクロファイヤーもアホすぎて愛おしく感じるが)

他人からは見えない”密かな自分の誇り”は簡単には揺らがないし、最たるお守りだったりする。

というわけで、遅ればせながら髙橋瑶基と申します。よろしくお願いします。(なんちゅう自己紹介だ)